PoCの契約:モデル契約書で押さえる点
スタートアップとのPoC(技術検証)は、始める前に「何を検証し、いくら払い、結果の権利は誰のものか、いつまでに次へ進むかを決めるか」を契約で決めておくことが重要です。特許庁が公開しているオープンイノベーション促進のためのモデル契約書(OIモデル契約書)には、そのためのPoC契約のひな型と逐条解説があり、大企業側が交渉の出発点として使えます。
この記事では、大企業の新規事業担当者がスタートアップとPoC契約を結ぶ場面を想定し、モデル契約書の内容に沿って押さえるべき点を整理します。
OIモデル契約書とは
特許庁は、研究開発型スタートアップと事業会社の連携を想定したモデル契約書を「オープンイノベーションポータルサイト」で公開しています。事業会社・スタートアップ向けには、事例の異なる「新素材編」と「AI編」があり、それぞれ次の契約書がそろっています。
- 新素材編: 秘密保持契約、PoC契約、共同研究開発契約、ライセンス契約
- AI編: 秘密保持契約、PoC契約、共同研究開発契約、利用契約
2026年9月時点でポータルサイトに掲載されている最新版はVer2.2(2025年4月改訂)です。Ver1.0は新素材編が2020年6月、AI編が2021年3月に作成され、その後2022年3月(Ver2.0)、2023年5月(Ver2.1)に改訂されています。各契約書には、タームシート(取引条件の要約)と、条文ごとの解説を付けた版が用意されています。
モデル契約書は、秘密保持契約を結んで情報交換を始め、PoC契約で検証し、共同研究開発契約、ライセンス契約(利用契約)へ進むという一連の流れを想定しています。PoC契約はその途中の段階に位置づけられます。スタートアップとの協業全体の進め方はスタートアップとの協業・事業提携の進め方で扱っています。
モデル契約書が想定する事例
PoC契約(新素材編)の逐条解説は、新素材を開発した大学発スタートアップ(甲)と、その素材を自社製品に使えるか検討する自動車部品メーカー(乙)を例にしています。秘密保持契約を結んで技術情報を開示した後、事業会社が「今期は予算が限られているため、まず技術検証を行い、来期に共同研究開発へ進むかを判断したい」という状況です。AI編は、姿勢推定のAI技術を持つスタートアップと、介護施設向け機器のメーカーを例にしています。
どちらも、スタートアップが検証を行い、事業会社が委託料を払う構図です。大企業の担当者は、自社が「乙」の立場にあるものとして読むと分かりやすくなります。
なぜPoC契約が必要か
逐条解説は、PoC契約が必要な背景として、本開発への移行をほのめかされながら無償でPoCを次々に依頼され、本開発に進まず費用を回収できないまま資金が尽きるケース(いわゆる「PoC貧乏」)があったことを挙げています。また、PoCの過程で得た知見の譲渡を求めたり、無断で特許を出願したりといった紛争も挙げ、こうした問題を防ぐための契約だと位置づけています。
大企業の側から見ると、PoC契約は「スタートアップに不利な条件を避けるための契約」であると同時に、「検証の範囲と結果の扱いを明確にし、社内での判断を進めやすくする契約」でもあります。口頭や簡単なメールのやり取りだけでPoCを始めると、検証が終わっても評価の基準が曖昧で、次に進むか判断できない状態になりがちです。
押さえるべき点
1. 契約の性質は「準委任型」
モデル契約書は、PoC契約を、一定の成果物を完成させることを目的とする請負型ではなく、検証のための業務の実施を目的とする準委任型と整理しています。スタートアップは善良な管理者の注意(善管注意義務)をもって検証を行う義務を負いますが、特定の結果が出ることまでは約束しません。
PoCは結果が分からないから行うものなので、「期待した結果が出なかったから支払わない」という扱いにはなりません。社内で稟議を通すときも、この点を関係者と共有しておく必要があります。請負と準委任の違いは開発会社との契約の注意点(請負と準委任)で詳しく説明しています。
2. 検証の内容を具体的に特定する
逐条解説は、検証の定義が重要であるとし、共同研究開発を行うかどうかを判断するための検証に限定して定める構成をとっています。検証の対象、方法、スケジュール、作業体制、報告書の内容などは別紙で特定します。
AI編の解説は、検証に使う対象データの質や量がPoCの精度に大きく影響すると指摘し、事業会社も別紙である程度詳しい事項を特定する必要があるとしています。大企業側が提供するデータや資料、担当者の協力の範囲も、ここで明確にしておきます。
特定しておくと良い項目の例は次のとおりです。
- 何を確かめるか(判断に使う評価項目と、その測り方)
- 大企業側が提供するもの(データ、サンプル、設備、担当者の時間)
- 期間とスケジュール
- 報告書に書くこと
3. 委託料は検証作業の対価
新素材編のモデル契約書では、委託料を契約締結後の一定期間内に一括で支払う形を採用し、その理由をスタートアップの資金繰りへの配慮と説明しています。解説では、ほかに着手時と報告書提出時に分けて払う方式や、一定の作業時間ごとに払う方式もあると紹介されています。
大企業では支払条件が社内規程で決まっていることが多いため、規程の範囲でどの方式が取れるかを早めに経理・購買部門と確認しておくと、交渉がスムーズです。
4. 知的財産はスタートアップに帰属させるのが原則
新素材編のモデル契約書は、報告書と検証の過程で生じた知的財産権を、事業会社や第三者が従前から持っていたものを除き、スタートアップに帰属させています。解説は、委託料は検証作業の対価であり知的財産の譲渡の対価ではないとし、「委託料を払うのだから知的財産は全て事業会社のものにすべきだ」という考え方を採っていません。また、PoCの段階で最も重要なのは報告書の内容であり、知的財産の帰属ではないとしています。
そのうえで、事業会社は検証の目的に必要な範囲で報告書を使用・複製・改変できるとし、スタートアップは著作者人格権を行使しないとしています。AI編の解説では、PoCの段階でソースコード等を引き渡すことはスタートアップにとって致命的な事態を招くリスクが大きいとしています。
大企業の担当者としては、社内の知的財産部門に「PoCの段階では知的財産を求めない」方針を事前に説明し、理解を得ておくことが実務上のポイントになります。自社にとって本当に必要なのは、共同研究開発に進むかを判断するための報告書の内容であるはずです。
5. 次の段階へ進むかの通知期限
モデル契約書では、両者が共同研究開発への移行に向けて最大限努力するとしたうえで、事業会社は報告書の確認が完了した日から2か月以内に、共同研究開発契約を結ぶかどうかをスタートアップに通知するとしています。解説は、次のステップに進むかが決まらないまま時間が過ぎることを避けるための定めだと説明しています。「最大限努力」の意味については、合理的に取り得る手段を尽くすことであり、自社の利益に反する対応まで求めるものではないとしています。
さらに新素材編では、共同研究開発契約を結ばなかった場合に事業会社が追加の委託料を支払う条項を、選択できる条項として示しています。委託料と共同研究開発への移行を関連づけて交渉するための選択肢です。
大企業にとって2か月という期限は、社内の意思決定の速度によっては短く感じられるかもしれません。PoCを始める時点で、報告書を受け取った後に誰がどの会議体で判断するかを決めておくと、期限内に通知できます。社内の判断の仕組みについては新規事業のステージゲートの設計も参考にしてください。
6. 秘密保持とデータの扱い
新素材編のモデル契約書は、相手方から開示された情報を包括的に秘密情報の対象とする方式を採っています。解説は、個別に「秘密である」と特定し忘れるリスクを避けるためと説明しています。秘密情報は検証以外の目的で使ってはならず、検証に合理的に必要な範囲でのみ使用・複製・改変できます。秘密保持の規定は、契約終了後も5年間有効とされています。
AI編では、PoCを始めた事実について、公表に先立って公表内容について相手方の承諾を得ることを条件に公表できる形にしています。スタートアップが投資家への説明などで協業の事実を公表したい場合があるため、大企業側も公表の可否と手順を社内の広報部門と確認しておきます。
7. 損害賠償の上限
モデル契約書は、契約違反による損害賠償の総額を、故意または重大な過失による場合を除き、委託料を上限とする定めを置いています。故意・重過失を除外している理由について、解説は、除外しないと免責の規定が無効と解釈されるおそれがあるためと説明しています。
大企業の標準の取引契約では、損害賠償に上限を設けない条項になっていることもあります。PoCの委託料に比べて過大な責任をスタートアップに負わせると、契約交渉が長引いたり、協業そのものが成り立たなくなったりします。
大企業側の実務での進め方
モデル契約書をそのまま使う必要はありませんが、次のように活用すると交渉が進めやすくなります。
- 秘密保持契約の段階から、PoC、共同研究開発までの流れを相手と共有する
- モデル契約書のタームシートを使い、委託料、知的財産、通知期限などの主要条件を先に合意する
- 自社の標準契約書とモデル契約書が異なる点を洗い出し、法務・知的財産・購買部門と事前に調整する
- 検証内容と評価項目を、事業部門とスタートアップの担当者で具体的に詰める
- 報告書を受け取った後の社内判断の手順と期限を決めておく
自社の標準契約書を相手に押しつけるのではなく、公的なひな型を共通の出発点にすることで、スタートアップ側も条件を理解しやすくなります。
まとめ
PoC契約で押さえる点を整理します。
- PoCは準委任型の契約で、結果が出ることを約束するものではない
- 検証の内容、提供するデータ、評価項目、報告書の内容を具体的に特定する
- 委託料は検証作業の対価であり、知的財産の対価ではない
- 知的財産はスタートアップに帰属させ、事業会社は報告書を検証目的で使う
- 報告書確認後、一定期間内に次へ進むかを通知する
- 秘密保持と公表の扱い、損害賠償の上限を決める
契約の文言は個別の事情によって調整が必要です。制度やひな型は改訂されることがあるため、契約の前に特許庁の最新の公開資料を確認し、弁護士など専門家に相談してください。
参考資料
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